JR東海を完乗した話
一ヶ月ぐらい前にJR東海を完乗した。まぁJR東海なんか2000kmないぐらいのやろうと思えば多分3日ぐらいで完乗出来そうなところなんですけどね。
最後に残ったのは太多線と昨年復旧した名松線。太多線にも乗っていたがSDカードを忘れていたので写真撮れず1枚目は松阪駅。
何かデパートがあるわけでもないので民衆駅というわけではないだろうが同じような空気感のあるいい駅舎である。
完乗の瞬間を迎える列車はキハ11となった。初めて見た時は「なんて不格好な」と思ったものだが見慣れてくると愛らしい車両である。JR東海の合理主義的顔面(313顔)から離れた所にいる車両は愛くるしい。いや、個人的にはああいった同じ顔の車両ばかり作ることこそ国鉄イズムだと思ってますよ。国鉄のフォントを継承しているのはJR東海ですしね。
松坂を発車してからの車窓は、こう言ってはアレだが日本のどこでも見られるようなのどかな、田んぼと標高100m前後の緑の山々というザ・田舎な風景。普通に好きですけどね。
列車は途中駅、復旧前は終着駅だった家城駅で列車交換のために10分程度停車。暇なのでプラプラ駅舎を見て回る。
いい具合の駅舎である。100%古いわけでもなく新しいわけでもない。文化財を守ることはいいことだが「保存」という嫌らしさを感じることがある。生活感も残された駅舎としての駅舎という感じだ。日本語下手だな...
途中駅で唯一みどりの窓口(JR全線きっぷうりば)がある。ただ列車交換中は駅員が席を離すため窓口が閉鎖される。駅員が何をしているかというと...
通票の交換である。写真がめっちゃブレてるのが本当に悲しい。家城から伊勢奥津の間がスタフ閉塞となる。通票の持っている列車だけ運行することができるかなり原始的な閉塞方式である。
家城からの車窓は今までのものとは全く違う。渓谷の様相を呈する雲出川に沿って山がちな場所をグングンと登っていく。家城駅の標高が70mなのに対し伊勢奥津駅の標高が270mなのだから結構な登り具合である。
また、現在は津市となってしまったが昔は「美杉村」という場所だっただけあって杉が多く生えている。ここらへんに「比津」や「奥津」のような「津」のつく地名が多いのも杉を舟で運んでいて、ここらへんは谷口集落として発展した...みたいなことを予想したが、「国鉄全駅ルーツ大辞典」を見たところ「奥津」は山間部の上流部では普通の地名、「比津」は「奥津」に対する「辺津(へつ)」の音が転じたものか?ということだった。
伊勢八知駅を越えると集落らしい集落もなくなり山の中を川に沿って登るだけとなる。その区間も終わり街の雰囲気が出始め国道に沿うと終着駅、伊勢奥津駅に到着する。
新しい見た目だが運休前にはもう出来ていたらしくしっかりと維持されているんだなと感じさせる。
時間に余裕があったので近くにあった八幡神社にお参りした。奥の本殿が江戸時代とかのものらしく県の文化財に指定されていた。誰もおらず静かな個人的には好きな雰囲気の神社だった。
まだ時間があったのでグルっと回って西側から駅舎を見る。西の端には給水塔が残っている。1963年7月の時刻表を見ると1日2往復蒸気機関車の運用があったようだ。貨物の取扱があったことから見て恐らく混合列車だったのだろう。
名松線の列車は今日も伊勢奥津駅で「名」に向かって尾灯を点けている。今となっては名張行のバスも早朝のみとなっており完璧な終着駅となっている。
帰りも同じ列車に乗り松阪駅へと帰った。
完乗記念に松阪駅の入場券を購入。頼んでスタンパーと無効印を捺して頂いた...
JRだけでなく自治体も一体となって復旧へと至った名松線。廃止が決定した三江線。廃止協議中のJR北海道の複数の路線。鉄道という交通機関の必要性が問われる時代に入ってきているのだろうか...