村松軌道の話
茨城県那珂郡東海村にはかつて村松軌道と呼ばれる軽便鉄道が走っていた。まあ詳しい話はWikipediaを読んでほしい。
石神駅から阿漕駅まで結んでいた村松軌道だが、個人的にこの路線を「西区間」と「東区間」に分けて考えている。そのように考えているのは東西で航空写真を見た時にトレースの可不可が大きく異るからだ。
マウスオンで廃線跡表示
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から作成。
航空写真を見ても、西の区間は廃線跡が見やすいが、東の区間は非常に見辛い。
東区間が描かれているものはその当時の地形図ぐらいしかない。スタンフォード大学のデジタルリポジトリにあるので見てほしい。(サイトにはパブリックドメインだと書かれているが、国内だと著作権とか面倒くさそうなので貼り付けは避ける。)
しかしこの地形図も5万分の1ということもありかなり大雑把に描かれている。石神駅周辺の廃線跡を航空写真からトレースすると下の地図のようになる。
こう見ると地形図の線形は大雑把な事が分かる。そのため東区間はトレースが難しく想像の域を出ない。
さらにこの東区間への興味をそそるのが、この区間に真崎駅という駅があったことだ。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から作成。
これは村松軌道廃線から16年後の真崎の集落の航空写真だ。家はまばらだが、ここに線路を通し駅を作れと言われると悩むぐらいには空間はない。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から作成。
地形図等も考慮するとこんな感じだろうか。あまりに情報がないのでこれが正しいかどうかも分からない。
そしてもう一つ。村松軌道には阿漕ヶ浦を渡る橋があったのではないだろうか。
マウスオンで矢印を表示
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から作成。
矢印で示した部分が若干阿漕ヶ浦の入り江とかかっている。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から作成。
後々、入り江は埋め立てられたようだが、橋のような構造物が残っていることが分かる。しかしこれが橋なのかも分からないし、確かめる術もない。村松軌道はそれほど情報の少ない幻の鉄道路線だ。
そこら辺の畑を掘ったら遺構の1つや2つ出てこないかなと思っているが、そんなことは出来るはずないし、東海村も別に興味がないだろう。この橋脚と思われるものも今は阿漕ヶ浦公園のサッカー場となってしまっている。
10年足らずで廃線となった村松軌道。西区間は現在も道路等に転用され当時を窺い知ることができるが、東区間は跡をほとんど見出すことができず本当に幻のようになっている。