所感雑感

くだらないひと。

結局、仮想通貨って何?という話

 NEM流出のニュースが流れていた時、母が「結局、仮想通貨って何?」と訊いてきた。「ネット上の通貨で、基本的に投機目的で売買される」みたいな話をすると、「物が買えない通貨って通貨なの?」と続けて訊いてきた。

めちゃくちゃ経済学っぽ~~~

と思ったので個人的なその回答を母にではなくネット上に上げたいと思う。

 

1. そもそも通貨、貨幣って?

 通貨は「流通している貨幣」、「通用する貨幣」を指す。つまりどこかしらの空間でそこで通用するお金を提示すれば、その価格分の何かしらと交換できる力を持つものだ。

 では貨幣とは何だろうか?貨幣には大まかに3つの機能があるといわれる。それは交換を媒介すること、価値の尺度となること、価値を保存できることだ。1つ目の交換の媒介は、例えば物々交換を想定したとして、自分の持っている物が自分の欲しい物を持っている誰かの欲しい物とは限らない場合が多々出てきてしまう。それに対して貨幣はどんな人に対しても「これとなら交換しても良い」と思われる物であるし、逆説的には貨幣はそういった物でなければならないということを意味する。2つ目の価値尺度も物々交換を想定する。物々交換では各々が各々の感覚で自分の持っている物と取引相手の物が等価となる量を決める。つまり市場の中でも人によって全く自分の持っている物の価値が違う可能性がある。対して貨幣は例えば100円ならば100円でズレが生じえない。少なくとも同じ市場で全く価格が違う状態にはなりえない。貨幣にはこのようなある物の価値を絶対的に計る尺度となる。3つ目の価値保存は腐ったり目減りすることなく半永久的にその価値を維持できることを意味する。貨幣はこの3機能を持っているし、持っていなければならないということになる。

 しかしここで説明したのは貨幣の中でも「全目的貨幣」と呼ばれるものだ。これ以外に貨幣は「特定目的貨幣」と呼ばれるある特殊な状況のみ貨幣のような振る舞いを見せるものがある。ヤップ島の石貨はその代表と言える。ここで「貨幣」と言った場合、「全目的貨幣」を意味する。

 

2.仮想通貨は「貨幣」なのか?

 前述した3機能を考えると仮想通貨にはそれぞれが一応は備わっているんじゃないかと思う。ビックカメラに行けばビットコインで商品を買えるし、つまりは価値尺度としても働いている。またネット上にあるもののため実物の貨幣よりもよっぽど保存に適している。

 しかし疑問も残る。例えば商店へ行き、580円の商品を0.001BTCで購入したとしてそれはビットコインで商品を購入したことになるのだろうか?円/ビットコインの交換が可能だからこそ成立する取引なのではないだろうか。つまり円の持つ交換媒介機能、価値尺度機能、価値保存機能に依存した取引なのではないだろうか。

 

3.我々は貨幣の何を信用しているのだろうか?

 先述した疑問に円を信用しているからこそビットコインの取引ができるんだと答えるとすると、いったい我々は円の何を信用してそれを裏付けとしたビットコインでの取引を進めるのだろうか。

 はっきり言ってそこまで考えて円を使っている人間なんて相当少ない。純粋に日本国内ならどこででも誰とでも円で取引が行える。これ以外にない。これを無理やりにでも解釈すれば「日本銀行を信用しているから」ということになる。

 ではその我々が信用を置く日本銀行はどのようにしてお札を刷っているのだろうか。それはお札に対する需要を見極めて発行しているということになっている。つまりそのお札の価値を保証するような現物は存在しない、ある意味「仮想」の通貨だ。

 

4.貨幣とは何だろうか?仮想通貨は「貨幣」なのか?

 貨幣の3機能の話はしたが、それだけでは貨幣を定義することは難しいだろう。我々が普通に使っている貨幣にも虚構性があると解釈できる時、その国が発行する貨幣が貨幣足りうる要件とはなんだろうか。それは「その貨幣のみで取引が可能なほどの強力な信用を有しているもの」となると思う。強力な貨幣への信仰、「貨幣の物神性」を引き起こすほどに大きな存在が貨幣なのではないか。所詮、仮想通貨はその信仰対象の貨幣をより増やすための道具に過ぎない。少なくとも現在の投機目的が主の仮想通貨に通貨的な要素は感じられない。現代の貨幣には「金」を売ってでも現金にしたいと思わせるほどの信用、信仰があるわけだから。