所感雑感

くだらないひと。

中学生の性の汚さ、集団の気持ち悪さの話

 私は今、怒っている。いや、これが怒りなのかもよく分からない。胸の中にモヤモヤとした憎悪がグツグツと煮えたぎっている。

 「神対応」て...あー、気持ち悪い。

 

 今の学生がどのような性の目覚めをするのか分からないが、小学生高学年ぐらいで「セックス」という行為を知り、中学生の頃はそれのしたさがマックスまで到達する時期だ。ぼくはそうだった。

 中学生の頃は本当にセックスがしたくて堪らなかった。脳内では熟女の英語教師と若い英語教師の2人と3Pしていたし、母の着替えや風呂を覗き、母とセックスしてもいいとまで考えていた。洗濯をした母の下着をズリネタにし、「孕め」と思いながらショーツに向かって射精していた。友達とはチンコの見せ合いをした。ここに書いていいのか悩むほどの自慰もした。本当に見境のない汚い性欲が出てくるのが中学時代だ。

 

 汚い性欲を身に纏った男たちの前に現れたホットパンツ姿で生足を露出した22歳の女性。汚いの性欲はどんどん燃えたぎっていく。しかもその場には多数の同志が。1人なら抑えられたかもしれないが、皆が行くならとその欲望を開放させる。集団心理の為せる技だろう。気持ち悪い。

 はっきり言って大概の男はこういう危険性を孕んでいると思う。男の性欲の枷は法と各々の倫理ぐらいだろう。法と倫理を失った獣に囲まれた稲村亜美さんは本当に怖かっただろうと思う。不気味な笑みを浮かべながら息を荒げて触っていたんだろう。気持ちが悪すぎる。

 

 性欲を抑えるにはどうしたらいいのか。中学時代受けた性教育の講習会みたいなのの中で、女の先生が「オナニーをして性欲を発散させましょう」なんてほざいていた。チンコも持ってないのに何が分かるんだろうか。オナニーをすればするほどセックスへの期待感が高まっていく。性欲が増大していく。中学生なんかオナ猿だからいわゆる「賢者タイム」がほぼない。どこまでも性欲の枷は倫理でしかない。中学生には難しいかもしれない。実際、自分も様々なオナニーをした。「人様の迷惑になってはいけない。」これが真理であり、どんな時でも適用されるべき法だ。性教育なんかして小4にセックスの仕組みを教えている暇があったら、そういう倫理道徳を脳髄に染み込むまで教え続けるべきだ。

 

 何も教育が悪いわけではない。各々が悪い。しかし、その各々を変えられる可能性が教育の中には秘められている。そういうことを言いたかった。もっと言えば、自分は汚い性欲を持っているんだということ、これはみだりに行使されるべきものではないということに気付くといいが、この自己否定の境地に到るには幼すぎる感はある。

 

 苛立ちに任せた乱文で人間一般(男性一般?)について話したいのに一般化されてない気がするが、まあいい。個人のブログだもんね。