所感雑感

くだらないひと。

「性的」の話

 この世には想像を絶する数のフェティシズムが存在する。風船にすら興奮をする人間がいるというから驚きだ。私は風船を擦った時の「キュッキュッ」という音が嫌いなのでどちらかと言うと嫌悪する立場だ。

 「性的アイコン」という表現方法が日本人の私からするとピンと来ないのだが、「シコるもの」程度の認識でいいだろうか。

 八百万のものを「シコらないもの」、「シコるもの」という基準で分けた時、もちろん一義的にシコるものと決まるものもあるが、全部が全部ゼロ百ではないということにも気付くのではないだろうか。先程の風船然りだ。

 

 人間は基本的にものと雰囲気を関連させて行動する。部屋を落ち着いた感じにさせたいからカーテンはこの色とか、今日はガッツリいきたいからステーキを食おうとか。もちろん物単体で存在はするのだが雰囲気と合致してやっとものの意味が特定される。

 

 そう考えると、この「制服JK」はどうだろうか。ちなみに私は幾度と無く制服JK のAVでシコり、巷に溢れる制服JKの写真でシコり、制服JKの絵でシコってきたほど制服JKが好きだ。記事内に書かれている「処女崇拝」と言われるとその通りと言わなければならないほどにシコってきた。恐らく今後も制服JKでシコる。では、今回の東京PR動画の制服JKでシコったか。私はシコっていない。恐らく今後もこの制服JKでシコることはない。しかし、この制服JKのがもしアロマ企画の名シリーズ「小悪魔JK 大胆パンチラコレクション」であの前後開脚とびをしていたならばシコっていたかもしれない。物事を性的だと決めつける時に重要なのは「性的アトモスフィア」ということだ。

 

 これらのことは多義的なものに対する話であって、一義的なものに対する話でない。私は台風の時に映されるスカートが捲れそうな女性の映像や朝や昼、ゴールデンタイムに出演する胸元を強調したような極端に露出度の高い衣装を着たタレントもおかしいと思うほどピュアなボーイなのだ。性というのは皆が大好きなものでもないし、判断する力をそれほど持ち合わせていない子供が性的な情報に触れるというのも避けなければいけない。だからといって何でもかんでも「ダメ―!」と言っていいわけではない。やはり女性には「美」が存在し、場合によってはそれが「性」を惹起させるわけだが、それは性的アトモスフィアを媒体として起こる。「美」を排除すべきではないのだ。