所感雑感

くだらないひと。

皇位継承の話

 今日の読売新聞の「退位へ」という連載にあった皇位継承女性宮家の個人的な意見をまとめようと思う。

 

 現在、皇位継承者は4人。継承順に紹介すると今上天皇の長男である徳仁親王次男文仁親王文仁親王の長男である悠仁親王昭和天皇次男の正仁親王だ。どうでもいいが、正仁親王とその妃、華子は私の唯一会ったことのある皇室だ。

 正仁親王は81歳とかなりの高齢なので皇位を継承するとは考え辛い。そうなると実質的な皇位継承者は3人となり、2019年の5月1日には2人になる。かなり心許ない感じはする。

 

 この心許なさを解決する手段として考えられているのが「女性宮家」だ。最近、眞子内親王と小室圭の納采の儀の日取りについての話題があったが、女性宮家というのは結婚する女性皇族を皇籍離脱させずに新しい宮家を創設して跡継ぎを増やすものだ。一般の女性との間の子を皇族とすることはあれど、一般の男性との間の子を皇族とすることは前例がないと思う。これを男尊女卑と取るのか伝統と取るのかは各々だ。

 

 私は伝統と取るし、誰1人として好き好んで皇族になりたい人間なんかいないと思う。女性宮家以外の手段として言われている旧宮家の復帰も同様だ。誰も皇族なんかになりたくない。ある人からは変に神格化され、そういった正しさを自分だけでなく配偶者にも求められる。批判される人間からは税金の無駄遣いと言われたり戦争責任を問われる。政治家のように何を変えることが出来るかと言えば何も出来ない。しかし、「日本国の象徴」として扱われるし振る舞わなければならない。ある種の虚構性とも見て取れる。

 

 少し本筋から離れる。

 

 現在の天皇観というのは明治以降150年程度の歴史の浅い天皇観で、しかも敗戦後の日本には合わないものとなってきているように思う。これを打開しようと今上天皇も苦労なされたのだと思う。江戸時代からの国学の興隆を受け、明治に入り天皇は歴史の流れから外れ、これもまた歴史の流れと解することも出来ようが、昔の延喜式だとかそういった様式の祭祀を復古した。天照大神神武天皇から始まる萬世一系の天皇観には非常にマッチしたのだろう。法というベールに隠されていた虚構性が、敗戦後に法が消え露骨に見え始めた。時代とぶつかりながら洗練されるべきと私は考える。

 

 では、私は皇位継承者の少ない現状をどう考えるか。悠仁親王に皇子がなければそこで天皇制の終了でいいと考える。今の天皇制の存在意義を考えて欲しい。私は歴史資料だと思う。そんな訳はないが、ただの家族なら、また神道の祭祀の長ならばなぜ国税で生活費諸々を賄わなければならないのか。雄略天皇以後、倭の五王を含めればもう少し前から続くその家系、古墳時代からずっと日本のトップ、それに準ずるものに就いてきた歴史、その厚みを受けての現在の天皇、皇族と捉える。

 しかし、歴史資料も失われてしまう瞬間がある。天皇制におけるその瞬間が今である。側室を設けることが出来ず子孫を残すことが難しくなった今、消えてなくならない方が不思議だと思う。誰も皇族になりたくないだろうし、何より1500年以上続いた歴史を崩してまで続けるべきなのかが謎だ。

 神社の存続だが、何も神社が天皇の存在に裏付けられているわけではない。アニミズム的な宗教に戻れと言っているわけではないが、1つの精神的支柱が失われたに過ぎないと思う。天皇も大事かもしれないが祭神は古事記日本書紀風土記等々に書かれている神々だ。神道も時代に合わせて変わってきたわけだから無に帰すことはないだろう。

 

 皇位継承者がいなくなる体で話を進めたが一番好ましいのは悠仁親王に皇子が産まれることだ。君が代が千代にも八千代にも続くことを願っている。あと、全て敬称略で書かせて頂いた。