所感雑感

くだらないひと。

なぜ同族嫌悪しないのか

 ぼくはひたすらAVを見て音楽を聴いてるだけの人間なのですが、たまに秋葉原に行くと化石レベルのオタク(デブ、四角くデカいメガネ、チェックシャツ、シャツイン)を見かけ嬉しくなることがある。まあそんなのはどうでもいいんですけど。

 しかし秋葉原行くと、いや秋葉原に行かずしてもよく見かけるのは声が大きいオタクだ。街中ならまだいい。建物内や電車内で騒がれると堪ったものではない。これもう公共の福祉に反しちゃってるでしょ。完璧反しちゃってるね。

 今はさほど聞かないが、一時期「ラブライバー」という種類のオタクが批判とわっしょいに晒されていた。私は別に他人に迷惑を掛けないならバッグにいくらストラップをつけようがいいとは思うが、ただ「キモい」とは思う。はっきり言ってあれに対して「かっこいい」と思うことがよく分からない。散財することがかっこいいんだろうか?

 同族嫌悪がオタクの文化なのかどうかは知らないが、1982年のアニメージュに掲載された有名な宮﨑駿の「とにかくいまのぼくは"ロリコン"を口でいう男はきらいですね。」はいい例ではないだろうか。言うまでもなく宮﨑駿はロリコンだ。宮崎勤の事件が1989年であるため別に時事的な話題というわけでもない。ロリコンブームという意味では時事的ではあるが。

 やはり同族嫌悪は必要だと思う。例えば親にオタク的なところを指摘されたとして「親には分からない」という言い訳が出来るが、同じ仲間から指摘されると思い止まることが出来る。これも寡兵でもってしては意味をなさないが。

 もちろんぼくだってリアルワールドでオタクと会った時に「キモい」なんて面と向かって言いませんよ。何しろぼくはコミュ障だ。しかし、ネット上でもオタクに対して友好的になる必要なんて1mmもない。画面に向かってこう言ってやればいいんです。「キンメェ~~~~~~~~~~wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」と。

 

 

はぁ虚し